人気だったラーメン屋やそば屋、昔から地域で親しまれてきた個人商店が閉店するお知らせを、SNSやニュース記事で最近よく耳にしないだろうか。
いつも行列ができていた店。味にも定評があり、何十年も通い続ける常連客がいた店。外から見れば商売は順調に見えていたはずなのに、ある日突然「閉店します」という知らせが出される。
多くの人は、その知らせを見て「残念だな」と思う。
もう少し早く行っておけばよかった。あの味をもう一度食べたかった。そんな言葉がSNSに並び、閉店が決まってから店の前に長い行列ができることもある。
しかし、僕たちが本当に考えなければならないのは、店が閉まった後のことではない。なぜ、その店が続けられなかったのかということだ。
閉店の理由は一つではない
店主が高齢になり、体力的に続けられなくなった店もある。子どもには別の人生があり、後を継ぐ人が見つからなかった店もあるだろう。
店主や家族の健康問題、介護などの家庭事情、建物や設備の老朽化、家賃や賃貸契約の変更、道路整備や再開発による立ち退きなど、閉店の理由は店によって異なる。
長年働き続け、十分に役割を果たしたうえで、自ら納得して店を閉じる人もいる。閉店という結果だけを見て、すべてを経営の失敗と決めつけるべきではない。
ただ、理由が一つではないからこそ、僕は気になる。なぜ、地域から愛されている店であっても、次の世代へ引き継ぐことが難しいのだろうか。
継ぎたいと思える商売になっているか
後継者がいないという話を聞くと、最近の若者は苦労を嫌うようになったと言う人がいる。しかし、本当にそれだけなのだろうか。
早朝から仕込みを始め、長時間店に立ち、休みも十分に取れない。それでも原材料費や光熱費、人件費を支払えば、経営者の手元にはほとんど残らない。
そんな親の姿を幼い頃から見てきた子どもに「この店を継いでほしい」と言っても、簡単に決断できるはずがない。
後継者不足とは、単に店を継ぐ人がいないという話ではない。
次の世代が、人生を懸けてまで継ぎたいと思える商売になっているのかという問題でもある。
店主の年齢だけを理由にしてしまえば、そこで話は終わる。しかし、店主が年齢を重ねるまで、なぜ誰かを雇い、仕事を教え、少しずつ店を任せる仕組みをつくれなかったのか。
そこには、小さな店が人を雇い、育て、利益を残すことの難しさが隠れているのではないだろうか。
売れていても続けられない
今の時代は、商品が売れているからといって、商売が成り立っているとは限らない。
原材料費や光熱費は上がり、人件費や社会保険料の負担も増えている。古くなった厨房設備や空調を入れ替えるにも、大きなお金が必要になる。
一杯のラーメンやそばを値上げすれば、高くなったと言われる。
しかし、価格を据え置けば、店主の利益と生活が削られていく。常連客を失いたくないという思いから値上げを我慢し、従業員の給与を支払うために自分の取り分を減らし、休む人の代わりに経営者が店へ出る。
さらに、人口減少や地域の高齢化、生活様式の変化、大手チェーンやネット通販との競争など、小さな店だけでは解決できない問題も増えている。
店は営業している。 お客様も来ている。 外から見れば繁盛している。 それなのに、経営者だけが少しずつ疲弊していく。
人気店の閉店は、客が来なくなったからとは限らない。売上があっても利益が残らず、人を雇いたくても雇えず、経営者の心や身体が限界に達したことで閉店する店もある。
だから、人気店が閉店したというニュースを見て、すぐに「経営に失敗したのだろう」と考えてはいけない。
閉店の理由はそれぞれ違う。
ただ、その背景を丁寧に見ていくと、努力や人気だけでは、小さな商売を続けられない時代になっていることが見えてくる。
閉店は突然ではない
客から見れば、店は突然なくなったように見える。
しかし、経営者にとっては突然ではない。
価格を上げるべきか。 営業時間を短くするべきか。 人を雇うべきか。 借入れを増やすべきか。 それとも・・・自分がもっともっと頑張るべきか。
おそらく何年も悩み続け、何度も数字を見直し、家族とも話し合い、それでも答えが見つからなかった末の閉店である。
僕はコンビニのオーナーや飲食店のオーナーを見かけると、よく話しかける。
人は足りていますか。休めていますか。そんな何気ない会話から始めるのだが、返ってくる言葉は驚くほど似ている。
「辛い」という段階は、もうとっくに通り越している。
それでも閉めることができない人もいる。借入金や設備のリースがあり、家族の生活があり、従業員の生活まで背負っているからだ。
辞めたくても辞められない。引き返したくても、引き返すためのお金すら残っていない。
こうして多くの零細企業経営者が、経営の地獄から抜け出せなくなっている。
一軒の店が消えるということ
小さな店が一軒なくなることを、単なる時代の流れとして片づけてはいけないと思う。
店がなくなれば、そこで働いていた人の仕事がなくなる。食材や商品を納めていた取引先の売上も減り、地域の人が集まっていた場所も失われる。
全国どこへ行っても同じような大手チェーンばかりになれば、便利にはなるかもしれない。
しかし、その町でしか食べられなかった味や、店主との何気ない会話、家族で通った思い出まで失われてしまう。
地域の小さな店は、商品を販売しているだけではない。
地域に仕事をつくり、人と人が顔を合わせる場所をつくり、その町にしかない文化を守っている。
それにもかかわらず、経営者が限界を迎えたときには 「自分で始めた商売なのだから自己責任」と言われて終わる。 本当に、それだけでよいのだろうか!!!!!!!!!!
閉店してから惜しんでも遅い
閉店のニュースを見て残念がるだけでは、次の店も同じように消えていく。
僕たちが気づかなければならないのは、店がなくなってから惜しむのでは遅いということだ。
価格が少し上がったときだけ不満を言い、安さと便利さだけを求め続ければ、地域の店は残らない。利用する側も、その店が続くために必要な価格や負担について、少しだけ考える必要がある。
そして国が本当に地域の雇用を守りたいのであれば、創業支援だけでなく、すでに何年、何十年と商売を続けている店の事業承継、設備更新、人材育成、廃業や再出発まで支える仕組みが必要になる。
始めるときだけ応援し、続けられなくなったら自己責任では、あまりにも無責任である。
人気店が続けられない社会では、新しく店を始めようとする人も、人を雇おうとする経営者も減っていく。
今守るべきなのは、すでに成功した大企業だけではない。
地域で毎日店を開け、人を雇い、自分の生活を後回しにしながら商売を続けている、小さな会社や店の経営者たちである。
零細企業を守ることは、経営者を甘やかすことではない。
地域の雇用を守り、暮らしを守り、その町にしかない文化を次の世代へ残すことなのである。


